私の生い立ち
これから赤裸々に語ってしまおう
My Story[1]
「バイク走行中、頭が出ていた!!」
私が生まれたのは、吾妻連峰がそびえる
自然豊かな土地。福島県福島市。
さくらんぼや桃、梨やぶどう、りんごなど
果物が豊富に採れることで有名で、
新緑が芽吹く春に
自営業で天ぷらやを営んでいた
祖母と父と母、そして3歳年上の兄の家族
私は二番目長女として生まれました。
まさにオイルショック時代
バリバリ昭和世代です^^;
予定日より早く生まれた私。
母の陣痛がきて、
父が運転するバイクの後ろに乗り
片道15分かかる産婦人科へ。
父も母もまだ20代前半、
若いってすごいなぁと
当時を振り返っていましたが、
産婦人科に着いた時は
もう、赤ん坊の頭が出ていたようです。
バイクよりタクシー呼べば
良いのにと突っ込みたくなりましたが
やはりそこは若さ
恐れをしらなかったらしい。
そんな中、健康に生まれたきたのは
すごいと思う。
ただ、私を妊娠中、
冬の雪道を自転車に乗り転んでしまい、
お腹を強くうって
その場所がちょうど私の
太もものところだったらしく
2歳になっても歩けなかったようです。
(頭ではなくて良かった^^;)
このままだと、車椅子生活になるのではなかと
心配されていましたが、年子の妹が
1歳になろうとした時、
同じころ歩き出したそうです。
そんなこんなで色々ありましたが
その後、三女の妹と次男の弟が生まれ
祖母、父と母、兄、私、妹、妹、弟
の8人家族。大家族となりました。
兄と私は、母親に甘えたい時期に
甘えられなかったいわゆる
「お兄ちゃんなんだから」
「お姉ちゃんなんだから」
と言われ、叱られるのも怖い
そして大人に褒められたい
という想いで幼少期を過ごした
記憶しかありません。
とはいえ、野放図なところもあって、
親や祖母が仕事でがいない時は、
ほぼ自由。
まわりが田んぼや畑だったので、
ザリガニ取りをしたり
トンボを捕まえて
トンボのお尻に糸を巻きつけて
ふわふわとしたトンボをみて
喜んでいたり
意外に活発な女の子でした。
※現在は虫は全て苦手です^^;
「母の交通事故」
私が、小学校2年生のとき
母が交通事故にあいました。
母が原付バイク
相手は、園バス。
園バスの信号無視による
交通事故でした。
母は園バスにぶつかり
飛ばされたようですが、
打撲だけで済んだ、なんと奇跡な出来事。
私の記憶では、腫れ上がった顔
包帯でぐるぐる巻きにされた腕と足。
全治3週間。痛々しい姿でした。
母は普段仕事で家にいることが
なかったので、母と一緒にいられる
時間がとても嬉しかった思い出が
強かったです。
My Story [2]へつづく。